送り手のコストと受け手のコスト

自分の中でなんとなく納得がいっただけでとくに結論は無い。 そして今年ここに全くエントリを書いてなかったことにいま気付いた。

ふとしたきっかけで発表するのを好む人の気持ちが気になった。その人は発表スライドだけ見ても話の内容が十分に伝わらず、その場のトークと資料が合わさって初めて成り立つような発表をするタイプのように僕には見えた。その人に限らず、こういうタイプの人はまぁ普通によくいると思う。 一方僕は真逆のタイプで、スライドだけを見てもそれなりに伝わるものを作りがちだ。スライドを読み上げてるだけじゃんという意見も目にしたことがあるけど、実際その通りで口頭で発表するよりドキュメントやブログ記事を書いて公開したほうが良いと思っていて、発表というのはまぁ宣伝効果があるとかそれくらいにしか思っていないところはある。

で、なんで自分はそう思ってるんだろうと考えてみると、受け手側が参照するコストをできるだけ下げたいのではないかと思った。ブログ記事で書いた内容は URL で簡単に共有できて、受け手側はまぁ長くても10分とかそれくらいあれば読める。 一方発表の場合、そのイベントに参加してないとそもそも聞けないこともあるし、動画が残っていたとしても見るのに数十分はかかるだろう。発表が素晴らしいものであったとしても気軽には他人と共有できず、自分がその発表から得られたものがあったとしてもそれを他人に伝えるときのコストが大きい。 良い記事は良い発表よりよくスケールする、と表現できるかもしれない。

逆に発表するのが好きな人は何がメリットなんだろうと考えてみて、まず思いついたのはその方が楽ということだった。 もちろん良い発表をするには事前の準備であったり、その場で受け答えできるだけのしっかりした知識であったりが必要なわけだけど、伝えたい情報を誤解なく伝えるのはドキュメントを書くよりも対面で口頭で説明するほうが楽だと思う。 なので送り手側のコストと受け手側のコストのトレードオフを考えたときに、どっちを優先するかが分かれ目なのかなと思った。 送り手側のコストを下げるというと聞こえが悪いかもしれないけど、情報発信が活発になるという点では良いんじゃないかという気はしているし、文章より対面のほうが正確に伝えやすいというのもその通りだと思う。 そう考えると、僕は情報を整理して後からそれだけ見ても必要な背景や情報に辿り着けるような issue を書くことを好むけど、一方で Slack で気楽なやりとりをして進める人や、あるいは対面で話したがる人がいるのも理解が深まってきた。 YouTube で1時間のライブ配信メインでやってる vtuber が多いのは動画編集のコストが低いからで、一方しっかり編集された動画を作ってると1本が短いので他人に勧めやすく、ヒットしたときの伸びがずっと大きい、みたいな話も思い出した。

ここまでは送り手の話だったけど発表というのは送り手だけでなく受け手もいて初めて成り立つもので、じゃあ受け手側は何故高いコストを払ってまでやってくるのかを考えてみると、そこでしか聞けない話があるというケースもありそう *1 だけど、そういうのを抜きに考えてみるとまぁなんか不思議な気がする。 僕は数年前まではアニメのおたくをやっていたけどライブのようなイベントに興味が無くて、でも去年初めて行ったら楽しくて、Blu-ray の映像を見ているときよりその場にいたほうが楽しい何かはある気がする。双方向感? 一体感? ライブ感? このへんはまだうまく言語化できていない。

というわけで、色々話が発散しつつも、受け手側のコストを気にしてそれができるだけ下がってスケールするように自分がコストを払うか、自分が払うコストをそこそこにしてとにかく発信するか、という間のバランス感覚の違いが人それぞれあって、そこから色々な差が生まれるのかなと思った。 この文章だって酒でも飲みながら適当に話していればすぐ終わってしまいそうだし、そのほうが楽しいかもしれないけど、時間をかけて文章にまとめると多くの人に届きやすい。この文章は別に多くの人に届けたいと思ってないけど。 そんなことを今日の昼休憩の間に考えていたのでした。

*1:送り手側が発表を好むタイプで、ドキュメントや記事を書いてくれないので仕方なく行くパターン